備忘録・そのよん

葵祭は日曜日でした。
僕は見に行きませんでした。でもきっといつか馬術部のバイトで参加できる、かもしれない。

今日はいい天気でした。いい天気というのは、ただ晴れているだけではなくて、気温もちょうどよかった!こんなすてきないちにちを家にこもって過ごしたなんてなんて無粋なんでしょう。いや、すこしは外に出たけど。

そういえば昨日もいい天気でした!昼間やや陰りましたが、むしろ散歩にはちょうどいいくらいで、哲学のみちを歩いて南禅寺をかすめました。何の建物かわかんないけどでっかくて迫力ある建物があった!すこしスケッチしました。
こんな風に京都の寺社や風景をスケッチしてまわりたいなあ。一泊だけ参加した修学旅行でも嵐山をすけっちしたけど。京都名所スケッチ集をつくって、そうしたら絵の力もきっと上達するに違いない。

哲学の道は、ご存じのとおり西田幾多郎が好んで歩いたのだそうで、観光客が多いときは出店が出たりするのですが、土曜日の昼下がりは人もまばらで閑静でよき散歩道です。それで、東の山々を眺めると、もう夏もちかいですけど、木々の緑が鮮やかでその濃淡が華やかで、季節が違うけど山笑うという感じで、いい季節だなあと思います。でもこぎれいすぎて哲学的思索には向かないかも。哲学ってどろどろしてるから。鹿ヶ谷通りの方が京都市街を歩く感じで僕は落ち着きます。

ドイッチャーのとろつきい三部作の第二巻目、武力なき予言者〜the Prophet Disarmed〜(武力を奪われた、の方が意図に近いのか?)が古本屋で千円だったので衝動買いしました。ぱらぱらめくった感じ、とても面白そう、というか、なかなかの労作・力作・良作。でもきっと積ん読

明日の熱力学のレポートがまだ終わっていません。きょうは実はこれと格闘して大変だったんだけど、演習量をこなすのは嫌いだがこういうのを考えるのはおもしろい…ですね。

梅棹忠夫の『京都の精神』を読みます。梅棹に外れはないけれど、これは当たり。梅棹が京都のことをどんな風に考えていたのかわかります。とくに読者に印象にのころるのは京都中華思想でしょう。梅棹は暗に明に陰に陽にこの思想を打ち出している。京都の人はよそ者に冷たいというけど、その実感がよくわかります。
ただ、梅棹の危惧通りいま京都は観光名所の一地方都市といった感が強くなっているのか、この中華思想を強く肌で感じることはありません(梅棹の意図を現代に酌むなら、京都アニメーションがもっと頑張ってほしいと個人的には思う)。学生は別なのかな。京都は学生の街だから、構成要因のひとつとしてあるていどは認めてくれているのかも。
こんな感じの本を梅原猛は書いていないんでしょうか。

せっかく京都にいるので京菓子を食べようと京菓子店を回ってみるのですが、どれもなんだか高級感が漂っていて学生がおやつに食べる雰囲気でない。スーパーのすみで売っている、半額のよもぎもちやおはぎを買ってみただけですが、とりあえず、曲がりなりにも京菓子ということで、おいしいです。はい。