今日は厄日だ

朝は馬術部に出てみる。飼料が重く、水桶が重く、へとへとになる。まあ、しかしこれはよい。問題は、雨が降ったことだ。僕は自転車をあきらめて歩くことにした。同時に1限の数学のレポートが終わっていないことに気が付いた。やってみるが、だめだ。諦めて、途中までで出すことにした。雨の中授業へ。凄い湿度。京都の梅雨はじっとりしていて悪質。紙がふにゃふにゃになるくらい。こころもふにゃふにゃ、にはならない。毎度声が小さく、しかも喋る言葉がが途中から空に消えていく教授だが、その分板書を充実させようとしていることが伝わってくる。つまり、悪い人ではないのだ。あと授業中にぼそっと洒落を言う。声にならない笑いが教室を満たす。授業が終わる。外に出ると、小雨が降っている。図書館に行き、新聞を読む。一時間ほど読んで昼食をとりに行くが、弁当を買うか食堂に行くか迷って弁当を買うが、結局その場で食べる。食堂でもよかったじゃないか。菓子パンを買ってコーヒーを飲む。この菓子パンはすごくコーヒーに合うので僕は好きなのだが、でもなぜ突然菓子パンを食べようとしたのか。教室を間違える。手を洗って、友人から数学のノートを早めに貸してもらいたいのだが何も言わず、物理の教科書を眺め、お茶を買いに行く。ビラを拾い集める。拾い集めようかどうかで迷ってみる。なんだかせわしない。やることが一つに定まらない。物理はもうついていけなくなりつつある。でもまだ時間はあるさと言い聞かせる。実際、素敵な先生だからね。言語学に。次の授業は認知言語学。授業はつつがなく終了するが、質問が長引いて馬術部の先輩から電話がかかってくる。作業に遅れた。雨が降っているので歩く。掃除をして、部室で久しぶりに読んだジャンプは学ぶことが多くあった。絵の構成やテクニックについて、ステレオタイプな人もいるが、「大御所」は独自の世界を確立しているのかすきがない。ああいうのは少しじぶんで絵をかいてみると分かったりするのだろう。漫画も自然発生するものに非ず、そこにただあるものに非ず、人の作り出すもの。バクマンはまだ判断に迷うが、どこかで読んでみたいと思う。で、帰ろうとすると傘がない。ほかの人が持って行ったのか、どこかに忘れたのか、判然としないが、近くのローソンで買ったありふれた傘だったから前者だとしても文句は言えない。帰る。歩いて。傘を持たずに、でも雨は弱かった。帰るとだらだらする。が、いけない。やることがあるじゃないか。今日は野菜炒めを作って冷蔵庫の野菜を処理することを楽しみにしていたのだ。でもご飯を炊いていない。炊くか、否か、サイは投げられた。生協の書店の閉店も間近。炊かずに出発、食堂でご飯だけ食べるが、丼ものに399円も使う。そうだ、今日、僕はお金のことばかり気にしている。丼は見たことのない名前でそぼろと温泉卵とピーマンの細切りをかけたものだった。このどこが399円なんだ!これなら炊くのだった。僕はいったい何をやっているんだ。野菜炒めに足りない食材を買い、どうせならここでご飯も買えばよかったと後悔しつつ帰宅。野菜炒めを作る。いろいろ詰め込みすぎて最期に入れたもやしが鍋に全部入らなかった。量の感覚がいまいちだが、味は野菜炒めだった。野菜の細胞液で半分煮物みたいになってしまったが。明日の英語のエッセーを書き、それを打ち込むためにパソコンを開き、そうしたらなんだかへんなきぶんになって全然違うことを初めて今に至る。今日は早く寝るつもりだったのに。
そういえばきょうはお皿の上でピーマンと出会う機会が多かった。

一日の出来事を全部書き出してみた。
なんだかせわしない人間だと思う。きっと自分の影におびえているんだろう。

墓穴を掘って京都の観光プランを作らねばならないことに。めんどくさい。なんか信用のおける地図とガイドが一冊手元にほしいのだが。

結論としては、もうそろそろ生活のルーティンができていても、いいんじゃないかと思うんだが、なんだかまいにちまいにち違うことをしている。それで脳みそを無駄に使用している気がしてならない。