原発銀座

変に充実したふうな一日を送ってしまうと虚脱感がのこる。
半分腑抜けてるくらいがちょうどいいのかもしれない。

意外とレポートなどが多い。やることがよりどりみどり(っていつの時代の表現なんだ)で何も手につかない危険が。危険が、すぐそこまで迫っている。

浜岡原発は、僕にはよくわからない。別に首相の決断を責めるわけではない。今日本で稼働している原発をなるべく減らすのは当然だと思う。
ただ、橋下知事がなんだか過剰に反応しているのを見ると、やはり政治の具になっている感は強いと思う。
関西電力は5割近くが原発のようだ。これを止めるわけにはいかない、じっさい、このパソコンも原発の電気で動いているのかもしれない。
原発が止まっていても使用済み核燃料棒だけで十分危険なことを考えると、「原発が止まる」ことにもあまり意味がない。原発は廃止しない限り止まらない、くらいに思ったほうがいいと僕は感じる。
中部電力は比較的原発に頼っていないようだ。その分、火力発電の不安定要因、たとえば原油価格の上昇とかが響いてくるわけで、今は原発事故があったから評価が高いかもしれないが、ほめられたことではない。そもそもこのこの狭い国土でこれだけ大量のエネルギーを使うのだから、どのようなエネルギー源に頼るにしろその調達には慎重を期さなくてはいけない、というのは当然なのだけど。
そもそも原発の依存度が低かった中部電力で、止めても数年は危険な状態が続く浜岡原発を一基止めるのは、大した問題ではない、というか、そもそも問題ではない。無理に動かすという発想もよくわからない。それを、動くか動かないかが大問題になって、動かさない、という大英断が下って、それを熱烈に支持してさあ節電だ、というのはいい気分はしない。なんだか焦点がすり替わっている。

まだ、原発というものがどういうものなのか僕には掴みかねる。
原発というのが不完全なテクノロジーであり毎年一定数の被爆者を出さなくてはならずそれが下請け業者や日雇い労働者に押し付けられているという話があった。
原子力発電というテクノロジーがどの程度開発されているのか、成熟しているのか、僕にはよくわからない。60年代の公害病みたいなものが原発にはまだ存在しているとでもいうのだろうか。
国家や企業が「カネモウケ」のために原発を作り続けたという意見は明らかに違うと思う。地震国で、ひとたび事故が起きれば巨大な経済的打撃と莫大な賠償を迫られる施設を作りまくるのは金儲けでも何でもない。それが倫理的にも問題があるならなおさらだ。正攻法で儲けてこそ金儲けだ。銀行強盗するよりも銀行作るほうがよほど儲かるとかなんとか、ブレヒトも言っていた。
潜在的核武装をするため、というのはまだ理解できる。それに「クリーンなエネルギーだから」って看板つけたのなら、犯罪的だなあ。人間、そこまで悪に徹することができるものなのかどうか。
しかしそれにしても、これだけたくさんの原発が建ったことにどういう経緯があったのか、僕は無関心だった。原発は生まれた時からそこにあったから。その経緯がまだ僕にはよくわからない。
それで、これからどういう風に原発を考え、エネルギー問題を考え、どのような方向で行くことに「現実味」があるのか(それは費用や技術の面だけではなくて、思想的面で)まだはっきりしない。自然エネルギーというのはたしかに技術面で課題があるのかもしれないが、それが解決するのは時間の問題だと思う。人工光合成が時間の問題(と僕は思うのだが)であるのと同じように。しかしどうも、本気でそちらに舵を切ることができるのかどうか、僕は不安だ。疑わしい。クリーンエネルギーがともすると「先進的な思考」という風にとらえられていて薄っぺらく感じる。こう言っとけば間違いはない、類の、絶対的な正解で、誰も実現する気のない正解。男女平等とか非核三原則みたいなもの。そこには思想的な具体性、問題意識が欠如しているような気がして、なんだか「本気」に感じられない。だれか、「本気」でこの問題を論じてください。
さもなければ、僕たちが論じるしかないのだろう。

refer
http://blog.tatsuru.com/2011/05/08_1052.php
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51677615.html
http://www.asahi.com/politics/update/0508/OSK201105080045.html