帰ってくると僕は…備忘録その3

冷蔵庫にあった一週間前のキャベツと白菜を処理して、そうして、だらだらパソコンと向き合っていた(キャベツ、作画崩壊の隠語だって。懐かしいなぁ!)。
なんだか空虚な気持ち。
家からいくらか本を持ってくる。本以外にもいろいろ持ってきて(掃除機とか掃除機とか掃除機とか)だいぶ荷物が重くなり、とても疲れた。しかし疲れた人間っぽくふるまってない。
お茶でも沸かして飲めばよかったんだろうか。

帰省したら英語ができなくなった気がする。

帰省すると、家族の中でいかに省略された日本語が交わされているかを実感した。まるでじゃるごんのあらし。

帰省中、友達と会ってひたすら喋った。最近長話することが多い。といういか、長話の機会が多い。そういうのは、個人的にはとても楽しい。しかし、結論としては、折角京都にいるのだから、やはり勉強するべきだ。

帰省の中日(なかび)、英国王のスピーチを見に行く。映画を友達と見に行ったのは…初めてではないのかもしれないが、少なくともここ数年はなかった。というか、映画を誰かと一緒に見に行ったのは小学生以来ではなかろうか。いや、学校の催しかなんかで見に行った映画があったな。岩波ホールに。
岩波ホール…。懐かしい。

妄想代理人paranoia agentすごく面白い。
パラノイアの妄想は極端だが理屈は通そうとする。つまり、ありえない事柄を確信したり無脈絡な連想を繰り広げるのではなく、現実的に起こらないわけではないがふつうはそうは考えないことを極度にふくらませるらしい。よくわからないけど、たとえば、メールの返信が遅いことからきっと友達が自分との関係をめんどくさいと思ってるんだ、めんどくさいが高じて敵意になってはやく手を切りたいと思って嫌がらせをして…という感じ、なのだろうか?

フランス語、さわりしかやってないんだけど、こんな勉強方法でほんとにいいんだろうか。

最近、また本を読むようになってきた。
そこで、今度はヘーゲルに挑戦しようかと思っている。いままで敬遠してきたヘーゲル。難解だといわれるが、本当に難解なのかは吟味の価値があるかもしれない。というのも、すくなくとも自分がサイエンスにたいして求めてきたのは弁証法による認識の発展なのだ。いままでの理解とほかの人や教科書や授業の考え方との相克、煩雑な思考からより簡潔で汎用的な思考の方へ進みたいという欲望。
ヘーゲルはその辺をどういう風に考え、具体的には、弁証法とはどのようにあるべきか、なされるべきかを考え、そして「絶対知」にたどり着いたのか、というかそもそも絶対知って何なのか、もう少しきちんと把握してみたい。
そして、ある概念をレポートなりなんなりにまとめて文章化することは、数学で計算練習をするのと同じなのだ。つまり、そういう努力を怠って本ばかり読んでいると、だんだん分かったつもりになることに慣れてしまうのではなかろうか。