NHKの陰謀

NHKと契約した。
思い出すのも気が進まないが、でもきちんと書いておいたほうがあとあとの自分のためにも良いと思う。

引越しをすると、受信料の契約を迫るNHK出先機関が訪問にやってくる(魔法少女、ではないのだね)。これは一般的なもののようだ。自分は、テレビは見ない、といって断ればよい、くらいに思っていた。光TVの契約か何かと思っていたのだ。後から考えると、少し認識が甘かったのかもしれない。
最初に総括を言っておけば、訪問してきた人間がどことなく調子が良いというか、詐欺師のような人間だった、それが後味を悪くしている。

インターホンでNHKのなんとかかんとか、よく覚えていないが、僕は家にテレビはない、といった。が、確認したいことがいくつかある、とのことだ。迷っていると、再びブザーが鳴ったので、とりあえず鍵を開けた(てしまった)。
彼は入ってきて(30過ぎくらいで少しやせていて声がやや高かった)、NHKの受信料がどうたらこうたら、と紹介し、そのあと急に表情を変えて「今年入居なさったのですか」と訊いた。そうだ、と答えると、応答がしっかりしている、一年生とは思えない、大学はやはりあそこですか、と訊いてくる。再びそうだ、と答える。彼は「おめでとうございます」と言って深々とお辞儀する。「それじゃむちゃくちゃ頭いいですね」と、彼はずいぶん砕けた調子に変わる。いや、そんなことないと思いますけど、と僕は笑う。すこし恥ずかしそうに顔の筋肉を引きつらせる。
彼はそのままの調子で喋る。彼は矢継ぎ早に質問する。テレビはあるか、パソコンはあるか、それでテレビは見れるか、など。僕はどれも「ないです」、と答える。それに、テレビをみるつもりもない、と。最後に彼は携帯の機種は何か、と訊く。できれば見せてほしい、という。それがどう関係するのかよくわからなかったが、僕は相手に圧倒されて携帯を見せる。彼はワンセグはあるか、と訊く。僕はある、と答える。(無い、と言えばよかったのだろうか?)
彼は急に顔をしかめて、申し訳なさそうにする。それはだめなんです、契約しないと。そうなのか、と僕は納得する。そういうルールなのだ、と“気付く”と僕は簡単に納得する。相手の思考に合わせようとする。(僕はルールに弱い)
僕はすでに契約するつもりになっている。
彼は契約書を出す。ここでごちゃごちゃやり取りがあったが、覚えていない。よく覚えているのは次のセリフだ。「あなた、応対がすごくはっきりしている。新入生とよく契約をするのだけど、皆たいていはあ、はあ、という感じで、こっちは一生懸命せつめいしてるんですよ、でもほんとにわかってるのかなあ、って不安になるんですけど、あなたはきちんと応対していて、なかなかいないですよ」。僕は同じように顔を引きつらせる。でも悪い気持ちはしない。「普通はこういう契約をすると、ちょっと考えさせて、ってみんな言うんですよ。でもあなたなら物分りがいいし、だからここで契約の書類を出したんですけど、学生番号とか、人に見られるのを嫌がる人って多いし」。NHKですから、まあそんなに心配しませんよ、と、僕はもうその気になっている。「複写になってるから、ボールペンで強く書いてもらえますか」。僕は、書きます、と答える。
ちょっと家の中で書いていいですか、と僕は言う。玄関では書きにくいと思ったからだ。彼はあわてて引き留める。いや、ここで大丈夫、ここで書いてください。「見てる前で書いて」くらい言ったかもしれない。僕は玄関の壁に契約書を立て、ボールペンを押し当てる。
書いている間にも彼は常に喋り続ける。下宿のこと、一人暮らしのこと、食器洗いや洗濯について。僕は適当に相槌を打つが、書き損じたりしないかと内心ひやひやする。
途中で料金の話になる。引き落としは銀行か、郵便局か、云々。僕は今口座を持っていない、と答える。カードとか通帳とか、と相手は言い募る。ロックされていて、口座を作りに銀行に行かないといけないが、まだ行っていない。実家のほうから引き落とせないんですか、と僕は言う。諦めたのか、彼は新しく書類を出す。「これ郵送してもらうんですけど、書き損じで手間取ることが多いから慎重にね、ゴールデンウィークに帰るの?じゃあそのときご両親に渡せばいいね。くれぐれも書き損じないように。そういうのこっちも悔しいんですよ、普通口座の欄に丸がされてなかったりと、それだけで通らなくて、何度も連絡取ることになっちゃって」。
「出身は。東京?そうか、都会っ子なんだ。こういうの慣れてるんだね。田舎の人は、性格は良かったりとかするんだけどおっとりしてるというか、要領を得ないで」。
だんだん僕は冷めてくる。彼はおだてているのだ、と考える。こうやっていろんな情報をひきだしていって。彼はあまりにもべらべらしゃべる。嫁のこと、生まれのこと(長崎の田舎と言っていた)、東京は一度しか言ったことがない、お祭りのような新宿の人混み。考える時間を与えないようにしているんだろうか、くらいまで考えたかもしれない。でも僕は契約書を書き終える。言われた通りの金額を出す。
それじゃあ、と彼は渋い顔をする。新聞も取ってるみたいだし、テレビを見る習慣がないと、こっちも強制するわけにいかないけど、でもせっかく契約してもったいないからテレビを入れることも考えてみてください、と。僕は、そうですよね、といって笑う。本当にその通りだ、とも思う。
最後に彼は(玄関の扉を見ながら)鍵の形状やサムターン回しについて喋り、僕いつもこんなことばかり考えちゃうんですよ、と自嘲気味につぶやく。いや、面白かったですよ。そうですか、そういってもらえるとうれしいな。そして、彼はいなくなった。新しい生活、頑張ってください、とお辞儀をして。

そのあと色々あり、僕はNHKの「手口」について認識に落ち度があったかもしれないと思う。彼の掌で僕はうまく踊らされたのか、と考える。詐欺はこのようにしてやるのか、と考える。本当にあれは全部演技でテクニックだったのだろうか。それとも、彼はそういう人間だったのだろうか。そういう人間で構成されるのがマスメディアという組織なのだろうか。NHK原発の不利な情報の隠ぺいに手を貸しているとしても僕はもう驚かないと思う。
あえて弁明するとすれば、僕はNHKという組織をある程度信用していた。大震災の二日後くらいに鎌田靖アナウンサーが司会をしていたNHKスペシャルを僕は高く評価したのだ。
しかし、携帯にワンセグが入っているだけで受信料を徴収しようというのは確かに悪質に思える。一人暮らしを始めたばかりの学生を手玉に取ったとすればなおさらだ。
下宿に引きこもってパソコン画面をにらみながら、僕は決意する。

今日から僕も、悪の秘密結社NHKと戦うぞ!