下宿生活にだいぶ慣れてきた

前の記事は、はじめての一人暮らしで戸惑った分文章がかたくなているのだと思う。
下宿生活も慣れてくると周りを見る余裕が出てくる。
要するに、飯を作って、食器を洗って、洗濯物を干して、風呂を入れる。これを周期的に繰り返せばよいだけなのだ。もちろんそれが意外と難しくて、買い物が下手の僕は最初家の中の食糧がどんどん減っていったが、今は何をどんなペースで買い足していけばいいのかわかってきた。自炊も味噌汁や原始的な卵料理には慣れてきた。慣れてきた品目を作るのは、どういう作業手順を踏めばいいのか体得してくるのでそこまで苦にならない。それに、何を作るのにどのくらい時間がかかるかということもわかってくる。これがわかるのは結構大事。
あと、自分で起きる。今はまだ緊張感があるので毎朝きっかり7時に起きる。しかし気が緩んだらどうなるか分かったものではない。朝は自由意志というものが極端に弱められてしまう。あんなに理性に信頼を置けたデカルト氏はきっと朝に強かったのだと思う。
あと、夏はまだいいんだけど、冬になると、寒さできっと布団の中から出ることができない。どうすればいいんだろう。

昨日は学生証を交付してもらい、生協の加入手続きを済ませた。途中ですんだいで同じクラスだったひとに会い、いろいろ話し、知り合いから友達になった。しかし、人間関係としてはほとんどゼロからのスタート、という感じ。浪人したので先に合格した同級生が頼りになる。
昼食は家でとる。午後は大学の教育用コンピューターシステムに登録する。しかし、どういう状況で使うのかいまいちよくわかわない。本格的な研究を始めるまでお世話になることがあるのかどうか。あと、コンピュータをいままでどのように使用し、どのようにして使い方を学んで行ったのかについてのアンケートがあった。これを見ると、「情報」という科目はまだまだ発展途中だという気がする。あと50年くらい経ったら、今の数学のようにある程度体系化されるのか、今の家庭科みたいな状況のままになるのか。僕は、後者ではないかと推察する。コンピューターというのはあくまで道具であって、学問ではない。その道具をどこまで理解しどの程度使えるようになるのかは本人の能力や好奇心や必要性に迫られる度合いによって異なると思うから。ただ、前向きに、(能力、好奇心、必要性の度合いが同じだとして)本人が育った環境によってコンピュータとの付き合いに大きく差が出るような社会になってはいけないと思う。「情報」なる科目が目指すところはさしあたりこれであろう(生活水準が向上し、社会の“情報化”なるものが進めばいい、という問題ではないだろう。それは前提というか、今後の不可避の情勢だ。ムーアの法則か何かのように。そして、その世界でどのように生きるかということはまた別の問題のはずだ)。
英語学習や海外研修に関する説明会も受けた。
能力はあるが性格はちょっと、という感じの天才肌の准教授が説明していた。

アニメを見る。
冬は「放浪息子」、「フラクタル」、「まどか☆マギカ」を見たのだった。最初の2作はもう完結してしまった。今年の冬は面白かった、と思う。手放しで称賛するつもりはないけど。
春は、何か見るのだろうか。見ないのかもしれない。