僕だったらこう演出するな

進撃の巨人のアニメ第一話、制作陣に一番拍手を送りたくなったところは、エレンの母がハンネスさんの立ち去る間際に「行かないで」とつぶやくところ。
ちゃんと説明すると、柱に埋まって足を砕かれた母を助けようとするエレンに巨人が迫るが、エレンは逃げようとしないので、通りがかったハンネスさんに母はエレンとミカサを連れて逃げてほしいと頼む。ハンネスさんが二人を抱えて逃げるときに、自らの言葉に反していかないでと言ってしまう。
きっと人間ってそうだろうなと思った。
第二話でよくないと思うところは、ハンネスさんの「お前に力がなかったからだ、おれに勇気がなかったからだ」のところ。
お前に力がなかったからだというのは、やや精神論がかっているエレンにもっと冷静に判断しろという大人の威厳をこめるところ(わがままはとおらない)。
俺が巨人に立ち向かわなかったのは…のところで、とうぜん(「現実主義」の視点から)エレンとミカサを必ず助けるためだったから、となるはずだ。実際、ハンネスさんの力であの状況を打開することはできなかった(巨人を倒す勝算もあまりなかったし、倒しても柱をどけることはできなかっただろう)。
けれども、そうやって何事も仕方がなかったと言い切ってしまうことに、自分のいやしさを覗いてしまって、そう言うことができなかった(ハンネスさんは立場上は巨人に立ち向かって一般人を守らなくてはいけないが、それができなかったし、百年の安寧に油断してベストを尽くすこともできなかった)。
ハンネスさんはそこで大人の威厳を捨てて、子供のように、「俺に勇気がなかったからだぁ!」と絶叫してしまうのである。
もっと穿つと、ハンネスさんは子供には己の力不足を、大人には己の勇気のなさを突き付けている。子供ゆえに力不足なのは仕方ない。ハンネスさんはそれを心の問題にしてはいけないといって、責めを感じて泣くエレンにじつはエールを送っているのである。強い大人になれよ、と。そしてすでに大人であり、兵団の一員として対巨人用の武器まで携帯している自分には、エレンが(立場も力もないがゆえに)持っていた勇気を持たなかったと自責している。子供と大人の違いをよく描いている。
第一話と第二話で、ポイントは同じ。エレンは単純に、こうあるべきだと考えるが、周囲の大人はこうした方がいいとこうあるべきとの間で葛藤してしまう。それが葛藤できるのが、大人というもの。子供は、葛藤することができない。
こういう大人が周りにいると、いいですね。

僕なら、ハンネスさんをもっと魅力的に描きます。それに比して、エレンの未熟さというものを、際立たせるように、演出します。

進撃の巨人をパニックアニメにするのはもったいない気がする。
パニックになるのが当たり前…じゃなくて、そのなかで冷静に(奇抜に)行動する登場人物が見たいものだ。

進撃の巨人は、何をやりたいのかはよくわかるから、方法と、効果との関連がよくわかる。そして、それはよい作品とは何かを考える基礎になるから、よいアニメなのだ。いや、観てないのですが。