神に愛でられし人

神に愛でられし人は夭折す。
ガロアの評伝にあったことば。あと一年足らずでガロアが決闘で斃れた年齢を僕は超える。短い…。

ジョブス氏が亡くなった。
いや、僕は氏について何も知らなかったのだ。名前だけは聞いたことがあったけど、風のうわさに、剛腕で自分勝手だが結果がついてくるので反論できない、という風なことを聞いていた、それだけ。
スタンフォードでのスピーチは某塾の講師が最後の授業のリスニングに使ったのだが、それを聞いたとき僕はそれを語っている人間がどの程度重要な人物なのかさっぱりわからなかった。ついでに、何を言ってるのかもさっぱりわからなかった。マイクロソフトがぱくったという笑いを誘うくだりさえどうして笑いがおこるのか聞き取れなかった始末だ。
なのに、昨日yahoonewsで訃報に接して追悼記事を読むにつれ、偉大な人格が失われたんだというなんだか神妙な気分になってしまった。
どうしてだろう。
たぶん氏が若すぎたからだ。
ガロアと比べれば十分長生きだけど56歳は人生が中途でぽっきり折られているような理不尽さを感じる。彼が技術者であり経営者であることも関係するのかもしれない。残したのは言葉ではなく道具だから。
数十年前まではこのような電子機器が想像すらされていなかったということが、物心ついたときの旧式の携帯電話やWindows95を知る僕でさえ想像できない。それを一からつくっていった人々がいることを改めて思い知らされると、そしてそのような人々がだんだんと過去に飲み込まれていくのを感じると、文明の脆さと儚さを感じる、って、何を感じているのかよくわからないのだけど。
氏の話に戻そう。氏はappleに復帰し数年毎に世界を席巻し続けていく開発の現場で亡くなった。老成する暇を与えられなかった、staying hungry, staying foolishな生き方。まとまらない。
ぽきり。